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1999年から2017年に【地球号を降りた あの人この人、気になる人々
50音順

2017年度


10/

10/7
■ジャン・ロシュフォールさん(仏俳優)パリ
9日、パリの病院で死去、87歳。
19歳でフランス国立高等演劇学校(コンセルヴァトワール)に入り、舞台俳優として活動。その後テレビ出演をへて、50年代に映画デビュー。75年「祭よ始まれ」でフランスのアカデミー賞といわれるセザール賞男優賞を受賞。パトリス・ルコント監督「髪結いの亭主」「列車に乗った男」、フィリップ・リオレ監督「パリ空港の人々」など出演映画は100本を超える。99年セザール賞の名誉賞を受賞。
10/5
■アンヌ・ヴィアゼムスキー(仏女優、小説家、映画監督)ドイツ・ベルリン
5日、死去、70歳。
父はロシア人、母方の祖父は作家のフランソワ・モーリアック。ネクラブ「オブジェクティフ49」設立メンバーの作家クロード・モーリアックは母方の伯父。64年16歳のときロベール・ブレッソン監督の映画「バルタザールどこへ行く」で女優デビュー。67年ジャン=リュック・ゴダール監督「中国女」に主演。同年ゴダールと結婚したが、79年離婚。小説家や脚本家として数本の作品がある。邦訳に「愛の讃歌」「少女」。04年以降TV映画4本を監督。
10/5
■三條正人(歌手)大津市
5日、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去、74歳。
。法政大在学中にコーラスグループを組み、音楽活動を展開。67年作曲家の東京ロマンチカにメーンボーカルで加入。デビュー曲「小樽のひとよ」が大ヒット。その後も「旅路のひとよ」などヒットを重ね、NHK紅白歌合戦にも出場した。2度ソロ活動へ転向したが、東京ロマンチカに復帰。73年女優の香山美子と結婚した。

9/27
■ヒュー・ヘフナー(米男性雑誌「プレイボーイ」創業者)イリノイ州シカゴ
27日、老衰のためカリフォルニア州ロサンゼルスの自宅で死去。91歳
イリノイ大学、ノースウェスタン大学で学ぶ。雑誌「エスクァイア」などでライターを務める。53年資金8000ドルを集め、マリリン・モンローのヌード写真を掲載した雑誌「PLAYBOY」を創刊。その後、派手なライフスタイルを通じて、60年代の性の革命(セクシュアル・レボリューション)を代表する人物となった。映画やTVシリーズにカメオ出演。映画「ビバリーヒルズ・コップ2」「SEX AND THE CITY」「ラスベガス」に出演したほか、TVアニメ「シンプソンズ」「ファミリー・ガイ」で本人役の声優を務めた。
9/19
 ■デーブ・ヒルトン(元プロ野球ヤクルト選手)テキサス州ウバルデ郡
で17日、アリゾナ州死去、67歳。
同州のライス大学を卒業。71年ド ラフト1位でサンディエゴ・パドレスに指名され契約。72年MBLデビューするも、4年間で成績が残せず、78年ヤクルトに入団。1番・二塁としてプレーし、当時プロ野球タイ記録のシーズン8本 の初回先頭打者本塁打を放つ。打率3割1分7厘、19本塁打、76打 点をマーク。球団初のリーグ制覇、初の日本一に貢献しした。79年までヤクルトに在籍し、80年阪神に移籍したがわずか18試合の出場で同年5月退団。米国に帰国後、マイナーリーグでプレー。台湾球界で監督も務めた。
9/15
■ハリー・ディーン・スタントン(米国俳優)ケンタッキー州アーヴィン
15日、米ロサンゼルスの病院で死去、91歳。
第2次世界大戦で従軍、除隊後にケンタッキー大学で演劇を学ぶ。56年「ララミー砦の反乱」で映画デビューし、西部劇でキャリアを重ねる。「デリンジャー」「エイリアン」「レポマン」などで注目を集める。84年ヴィム・ヴェンダース監督「パリ、テキサス」で主役を演じる。他の出演作に「グリーンマイル」「ランゴ」「ワイルド・アット・ハート」「ツイン・ピークス」シリーズなど。
9/3
■ウォルター・ベッカー(米ギタリスト)ニューヨーク市クイーンズ
3日、 病気療養中だったが死去、67歳。
バード・カレッジ中退。大学在学中にドナルド・フェイゲンらと米ジャズ・ロックバンド「スティーリー・ダン」を結成、70年代を中心に多くのヒット曲をだす。 81年スティーリー・ダン解散。その後、ハワイに移住しプロデューサー活動を開始。90年代にスティーリー・ダン再結成。08年ソロ・アルバム「サーカス・マネー」を発表した。
8/28
■ミレーユ・ダルク(仏女優)仏ランス、ヴァール県トゥーロ
28日、脳血管疾患の治療中で、数日間昏睡状態にあったが。死去、79歳。
トゥーロンのコンセルヴァトワールを卒業。59年パリにでる。60年オノレ・ド・ バルザック原作「領主館」のTV映画「地獄の傍らで」でデ ビュー。同年短篇映画デビュー。65年ジョルジュ・ロートネル監督「恋するガリア」に主演し、マール・デル・プラタ国際映画祭主演女優賞を受賞。68年ジャン・エルマン監督「ジェフ」の撮影でアラン・ドロンと初共演し、以降約15年間愛人関係にあった。 60-70年代に50本以上の長編作品に出演。88年「ソフィー/遅すぎた出逢い」で映画監督デビュー。06年レジオンドヌール勲章シュヴァリエ章、09年国家功労章コマンドゥール章を受章。他の出演作に66年リノ・バンチュラ主演「女王陛下のダイナマイト」、ジャン=リュック・ゴダール監督「ウイークエンド」、70年アラン・ドロン主演「ボルサリーノ」など。
8/26
■トビー・フーパー(米映画監督)テキサス州オースティン
で26日、カリフォルニア州シャーマンオークス死去、74歳。
テキサス大学で学ぶ。学制時代から短編映画を製作。74年「悪魔のいけにえ」で監督デビュー。チェーンソーを振りかざす大男「レザーフェイス」の恐怖を描き、ホラー映画に大きな影響をあたえた。77年「悪魔の沼」、82年スティーヴン・スピルバーグ製作・脚本で「ポルターガイスト」を監督する。ホラー映画の世界的巨匠13人が競作した映像プロジェクト「マスターズ・オブ・ホラー」で「ダンス・オブ・ザ・デッド」を手が、 06年ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で初披露した。他の監督作品に85年「スペースバンパイア」、86年「悪魔のいけにえ2 」など。01年「アメリカン・ナイトメア」には俳優として出演した。
8/22
■ジョン・アバークロンビー(ジャズ・ギタリスト)ニューヨーク州ポートチェスター
22日、心不全のため死去、72歳。
67年バークリー音楽大学を卒業。プロのジャズ・ギタリストとして本格始動。74年ファースト・アルバム「タイムレス」をリリース。69年ニューヨークでグループ「ドリームス」を結成する。72年からチコ・ハミルトンのグループと欧州ツアー。75年ダウンビート誌国際批評家投票ギター部門で新人賞受賞。「ジョン・アバークロンビー・トリオ」などいくつものユニットを結成したECMを代表するジャズ・ ギタリスト。
8/20
■ジェリー・ルイス(米喜劇俳優)ニュージャージー州ニューアーク
20日、老衰のため米ラスベガスの自宅死去、91歳。
芸人だった親と共に5歳から舞台に立つ。46年急場しのぎに組んだディーン・マーチンと「」のコメディーコンビが大人気となる。映画「底抜け」シリーズなどで人気を集め、50年代のドル箱喜劇チームといわれたが、56年マーチンとのコンビを解消。98年アメリカン・コメディ賞特別功労賞、99年ヴェネツィア国際映画祭功労金獅子賞、09年アカデミー賞特別賞(ジーン・ハーショルト友愛賞など受賞多数。筋ジストロフィー患者支援のためにテレソンチャリティ基金「レイバー・デイ・テレソン」を創設。24時間テレビ 「愛は地球を救う」 のモデルにもなった。
8/17
■ソニー・ランダム(米俳優)ジョージア州カント
17日、ケンタッキー州レキシントンの病院で鬱血性心不全のため 死去、76歳。
チェロキーとセミノールの血を引 く。70年代にポルノ俳優として活動。87年ウォルター・ヒル監督「プレデター」で世に知られる。87年「アクション・ジャクソン/大都会最前線」、89年「ロックアップ」などに出演。02年ケンタッキー州知事選挙に共和党から出馬するが落選。
8/8
■出光元(俳優)佐賀県
8日、肺腺癌のため死去、82歳。
大学卒業後に芸能活動を開始。58年舞台「毒薬と老女」でデビュー、子供むけTV 番組にレギュラー出演。その後、TVドラマ「いじわる婆さん」「水戸黄門」「大岡越前」 「Gメン’75」、映画「ウスの法廷」などに出演した。
8/8
■真理明美(女優)岩手県
8日、肝細胞がんのため東京都世田谷区の自宅で死去、76歳。
岩手県立花巻南高校を卒業。63年松竹に入社。映画「モンローのような女」で主演デビュー。68年からTVに活動の場を移し、69年から放映されたTVドラマ「プレイガール」などに出演。84年西河克己監督「チーちゃんごめん ね」、00年黒木和雄監督「スリ」などに出演した。夫は映画監督 の須川栄三。
8/10
■阿部進(教育評論家)神奈川県川崎
10日、胃がんのため死去、87歳。
横浜国立大学学芸学部特殊教員養成課程を卒業。50年川崎市内の小学校代用教員に採用される。61年「現代子ども気質」、62年「現代っ子採点法」を出版し、現職教諭の提言として注目を浴びた。65年退職し教育評論家となる。テレビ出演の一方で手塚治虫、寺山修司らと「現代子どもセンター」を設立。テレビ番組の公募で選ばれた“カバゴン”の愛称で知られ、ラジオ番組「全国こども電話相談室」のレギュラー解答者になる。「現代っ子」の造語でも知られる、漫画雑誌ブームの際は漫画害悪論に対して手塚治虫らと異議を唱えた。
8/8
■グレン・キャンベル (米カントリー歌手)アーカンソー州ディライト
8日、11年アルツハイマー病を患っていることを公表していた。テネシー州ナッシュビルの施設で日死去、81歳。
50年代終わりに音楽活動を開始。62年ソロデビュー。67年「ジェントル・オン・マイ・マインド」と「恋はフェニックス」で、それぞれカントリーとポップ両部門のグラミー賞を獲得。68年アルバム「ウィチタ・ラインマン」で全米総合チャートでも1位を獲得。69年ジョン・ウェイン主演の映画「勇気ある追跡」に出演、ゴールデングローブ賞新人賞にノミネートされた。12年グラミー特別功労賞を受賞した。70枚以上のアルバムを発表し、レコード4500万枚を売り上げている。
8/7
■中島春雄(元俳優・スタントマン)山形県酒田
7日、肺炎のため死去、 88歳。
小学校卒業後に横須賀へ移る。43年14歳で横須賀の海軍航空技術廠の養成所に入る。47年「映画俳優学校」に応募。50年東宝に入社。53年映画「太平洋の鷲」でファイヤースタントを務める。54年映画「ゴジラ」で、初代ゴジラを演じる。56年「空の大怪獣ラドン」でラドン役を演じ、日本初の本格的ワイヤーアクションをおこなう。その後、黒澤明監督「七人の侍」のスタントマンのほか、怪獣映画やTVのウルトラマンシリーズなどで怪獣に扮しスーツアクターを務める。72年43歳で映画「地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン」でゴジラを演じ、この作品を最後にゴジラのぬいぐるみ役を引退。着ぐるみを身につけて演技をする俳優の草分け的存在として知られた。11年米ロサンゼルス市より市民栄誉賞を受賞。12年酒田市より「第1回酒田ふるさと栄誉賞」を受賞。
8/1
■西村昭五郎(映画監督)滋賀
1日、肺炎のため青森県八戸市の病院で死去、87歳。
54年京都大学文学部仏文科を卒業。従兄の吉村公三郎監督の紹介で、日活に入社。中平康らの助監督を務めたのち、63年「競輪上人行状記」で監督デビュー。60年代終盤から「大江 戸捜査網」などのTVドラマ演出に回される。71年日活が成人映画へ路線転向するのにともない、日活ロマンポルノ最初の作品「団地妻 昼下りの情事」(白川和子主演)の監督を務める。以降、ロマンポルノ末期まで「団地妻」シリーズや団鬼六原作ものなど、数多くの作品を監督し、最多の84本(1本は共同監督)を手がけた。他の監督作品に「青春の海」「実録ジプシー・ローズ」「肉体の門 」「宇能鴻一郎の看護婦寮」など。
7/31
■ジャンヌ・モロー(仏女優)パリ
31日、パリの自宅で死去、89歳。
父はフランス人、母はイギリス人。パリのフランス国立高等演劇学校 (コンセルヴァトワール)で演技を学び、48年にデビュー。ルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」「恋人たち」「鬼火」、フランソワ・トリュフォー監督の「突然炎のごとく」、ジャン=リュック・ゴダール監督の「女は女である」などに出演し、ヌーベルバーグ時代を彩った。60年ピーター・ブルック監督「雨のしのび逢い」でカンヌ国際映画祭主演女優賞を受賞。70年後半からは「ジャンヌ・モローの思春期」などで監督業にも進出。60歳をすぎて90年リュック・ベッソン監督「ニキータ」、 91年テオアンゲロプロス監督「こうのとり、たちずさんで」などにも出演。ジャン=ジャック・アノー監督「愛人/ラマン」ではナレーションを務めた。映画界への貢献が評価され、97年ヨーロッパ映画賞で生涯貢献賞、00年ベルリン国際映画祭金熊名誉賞、03年カンヌ国際映画祭パルム・ドール名誉賞を受賞した。48年俳優ジャン=ルイ・リシャールと結婚したが、のち離婚。77年映画監督ウィリアム・フリードキンと再婚、79年離婚。
7/27
■サム・シェパード(米劇作家、俳優I)イリノイ州フォートシェリダン
27日、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の合併症のためケンタッキー州にある自宅で死去、73歳。
60年代にニューヨークに移る。オフ・オフ・ブロードウェイなどで戯曲が上演され、何度もオビー賞を受賞した。40本を超える戯曲を執筆し、79年伝統的な米国家庭の破綻を描いた「埋められた子供」でピュリツァー賞戯曲部門を受賞。同作品はブロードウェーで舞台化され、96年トニー賞で5部門にノミネートされた。ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「砂丘」やヴィム・ヴェンダース監督の「パリ、テキサス」「アメリカ、家族のいる風景」などの映画脚本も担当した。いっぽう、78年「天国の日々」などから俳優として映画に出演。 83年「ライトスタッフ」でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。その後「マグノリアの花たち」や「ブラックホーク・ダウン」などの作品に出演。著書に77年「ローリング・サンダー航海日誌 - ディランが街にやってきた」、83年「モーテル・クロニクルズ」女優のオーラン・ジョーンズと結婚するが離婚。82-09年まで女優のジェシカ・ラングと暮らしていた。
7/26
10■神蔵 器 かみくら うつわ(俳人)、東京都
26日、慢性呼吸不全のため死去、90歳。自宅は東京都杉並区和田。
明治大学文芸科中退。 鶴川村に移り住んでいた石川桂郎に師事。「壺」「麦」を経て、1962年より桂郎の「風土」に所属。1975年、桂郎の没後「風土集」選者。1979年、「風土」主宰に就任。養父について錺(かざり)職人となっていたが、主宰就任後に廃業した。2002年、句集『貴椿』により第41回俳人協会賞、2010年、 句集『氷輪』により第10回俳句四季大賞受賞。「田や畑や動かぬものに雪つもる」など、物に即して人の心を表出する句風。俳人協会名誉会員、日本ペンクラブ会員、日本文藝家協会会員。
7/24
■犬養道子(評論家)新宿区
24日、老衰のため神奈川県秦野市内で死去、 96歳。
女子学習院、津田英学塾で学ぶ。太平洋戦争中にキリスト教の洗礼を受け、48年渡米。パリ・カトリック大学で聖書学を学ぶ。70年代以降欧州各地に暮らした。90年代後半帰国。麗澤大学など多数の大学で教える、麗澤大学名誉博士、麗澤幼稚園名誉園長。この間の58年海外見聞を記した「お嬢さん放浪記」で言論界デビュー。79年初のタイ難民キャンプを訪問。80年代以降カンボジアやアフリカ、アフガニスタンなどの難民問題に深くかかわり、 「犬養道子基金」を創設し、難民への奨学金支給や環境保護活動に尽力。89年「国境線上で考える」で毎日出版文化賞を受賞。他の著書に「聖書を旅する」「こころの座標軸」など。32年5・15事件で暗殺された元首相の犬養毅の孫。白樺派の作家で法 相を務めた犬養健の長女。
7/21
■ジョン・ハード(米俳優)米ワシントンDC
21日、数日前に手術を受け療養していたが、カリフォルニア州パロアルトのホテルで死去、72歳。
クラーク大学で学んだのち、俳優となる。79年・80年にオフ・ブロードウェイの舞台でオビー賞を受賞。70年代後半に映画デビュー。82年「キャット・ピープル」でナスターシャ・キンスキーの恋人役で出演。99年「ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア」の警察官役でエミー賞ノミネート。他の出演作に90年「レナードの朝」「ホーム・アローン」、92年「ペリカン文書」など。
7/21
■平尾 昌晃(作曲家、歌手)東京都新宿
21日、二年前に肺ガンに罹るが闘病生活をへ現役を続けていたが肺炎のため死去。79歳。
慶応高校を中退。ウエスタンバンド「チャック・ワゴン・ボーイズ」に入る。ボーカルの小坂一也が脱退し、「オールスターズ・ワゴン」にとなる。57年石原裕次郎主演の「嵐を呼ぶ男」に出演。58年「リトル・ダーリン」でソロ・デビュー。 ミッキー・カーチス、山下敬二郎とともに「ロカビリー三人男」として人気を博した。58年「星は何でも知っている」、59年「ミヨチャン」を発表し、ともに100万枚を売り上げる大ヒットとなった。その後、作曲家として布施明の「霧の摩周湖」「恋」、じゅん& ネネ「愛するってこわい」、梓みちよ「渚のセニョリーナ」などがヒット。「霧の摩周湖」、「渚のセニョリーナ」は日本レコード大賞作曲賞を受賞。71年五木ひろし「よこはま・たそがれ」、小柳ルミ子「わたしの城下町」が大ヒット。72年小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」で日本歌謡大賞受賞。73年五木ひろし「夜空」で日本レコード大賞受賞。74年「平尾昌晃音楽学校(現:平尾昌晃ミュージックスクール=HMS)」を創立。多くの歌手を輩出した。社団法人日本作曲家協会・常務理事、社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)理事を歴任。
7/18
■日野原重明(聖路加国際病院名誉院長)山口県山口市
18日、呼吸不全のため死去、105歳。
神戸市育ち。 京都帝国大学(原:京都大学)医学部を卒業。41年から内科医として聖路加国際病院に勤める。43年京都帝国大学医学で博士号取得。戦後いち早く、患者と対等に接する医療に着目し、看護教育の充実 などに取り組んだ。51年から1年間米エモリー大医学部に留学。聖路加病院内科医長、聖路加看護大学学長、同病院長などを歴任。71年予防医療と健康教育の実践を目的とした財団法人ライフ・プランニング・センターを設立し、「生活習慣病」の概念を提唱した。このほか、日本初の独立型ホスピスを設立するなど、生活習慣病の予防や終末期医療の充実などに尽力した。70年日航機「よど号」ハイジャック事件に遭遇し人質になる。95年地下鉄サリン事件では同病院に多数の被害者を受けいれ、治療の陣頭指揮にあたった。05年文化勲章を受章。100歳を過ぎても現役医師を続け、「生きかた上手」「いのちの授業」などの著作や講演で広く知られた。
7/11
■砂川啓介(俳優)
11日、08年脳梗塞を発症。その後、認知症と診断されていたが、尿管がんのため東京都港区の病院で死去、80歳。
1937年東京都出身。成城高校在学中に映画「足摺岬」などに出演。卒業後、江口舞踊研究所に入所し、モダンダンスを習う。61年NHK「うたのえほん」で初代たいそうのおにいさんとしてブレイク。80年から6年間「お昼のワイドショー」で司会を務める。85年劇団フジの舞台にも出演。妻は女優、声優の大山のぶ代。
7/16
■ジョージ・ロメロ(米映画監督)ニューヨーク
16日、肺癌による合併症のためカナダ・トロントの自宅で死去、77歳。
54年中学生のとき8ミリ映画「The Man from the Meter」を制作。カーネギー・メロン大で美術を学ぶ。卒業後の63年ピッツバーグで友人と映像製作会社「ラテント・イメージ」を設立、CMや産業用フィルムの製作や監督を手がける。68年ゾンビが人間を襲う「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」で監督デビュー、熱狂的ファンを獲得した。同作のゾンビの設定がのちのゾンビ映画などに受け継がれたため「ゾンビ映画の父」と呼ばれる。他の代表作はほかに78年「ゾンビ」、82年「クリープショー」、85年「死霊のえじき」、93年「ダーク・ハーフ」など。ジョナサン・デミ監督「羊たちの沈黙」にFBI捜査官役で出演するなど俳優としても活動した。
7/15
■マーティン・ランドー(米俳優)ニューヨーク・ブルックリン
15日、合併症のためロサンゼルスの病院で死去、89歳。
アクターズ・スタジオで学ぶ。57年ブロードウェイにデビュー。28歳でアルフレッド・ヒッチコック監督「北北西に進路を取れ」に28歳で出演。 TVドラマシリーズ「宇宙大作戦」のミスター・スポック役の依頼を断り、TVドラマシリーズ「スパイ大作戦」にローラン・ハンド役で出演し人気を博す。88年「タッカー」でゴールデングローブ賞、94年「エド・ウッド」でアカデミー助演男優賞とゴールデングローブ賞を受賞。他の出演崎品に「X-ファイル ザ・ムービー」「ピノキオ」「訣別の街」など。
7/8
■エルザ・マルティネッリ (伊女優)伊中部トスカーナ州グロッセート
8日、ローマで死去、82歳。
53年映画デビュー。55年「赤い砦」でカーク・ダグラスと共演。56年「 Donatella」でベルリン国際映画祭女優賞を受賞。60 年「血とバラ」「ローマの恋」、63年「予期せぬ出来事」、 68年「キャンディ」、92年「モンテカルロ殺人事件」など出演映画多数。
7/4
■原子朗((詩人、早稲田大学名誉教授)長崎県
4日、老衰のため死去、 92歳。
早稲田大学文学部を卒業、同大学院を中退。日夏耿之介、吉田一穂に師事。50年「詩世紀」創刊に参加。「文藝首都」編集同人。立正女子大学、早稲田大学教授を務めた。95年を定年、昭和女子大学教授に転じた。宮沢賢治研究の第一人者として知られる。宮沢賢治イーハトーブ館館長、早稲田大学出版部取締役を歴任。86年「石の賦」で現代詩人賞受、93年「宮沢賢治語彙辞典」で宮沢賢治賞を受賞。著書に「宮沢賢治とはだれか」「詩集 幽霊たち」
7/1
■上田利治(元プロ野球阪急監督)徳島県宍喰
1日、死去、80歳。
海南高校時代から捕手をつとめ、関西大学二部法学部に進学。野球部に入部し、村山実とバッテリーを組んで関西六大学リーグで4回優勝。59年広島カープに入団。53試合に捕手として先発するが、肩を壊し61年現役引退。62年日本プロ野球史上最年少の専任コーチとして25歳で広島二軍コーチに就任。63年一軍コーチとなる。69年シーズン後、 根本陸夫監督と意見が対立し退団。71年阪急ブレーブスのヘッドコーチに就任。74年37歳で阪急監督に就任。就任2年目の75年からリーグ4連覇を含む5度の優勝、日本シリーズ3 連覇をなしとげ、阪急黄金期を築いた。78年に一度退任した後81年に復帰し、90年退団。95年から5年間、日本ハム監督を務めた。監督通算成績は1322勝1136敗116分け、勝率. 538。1322勝は歴代7位。03年野球殿堂入り。
6/28
■森慎二(元プロ野球投手(西武))山口県岩国
28日、多臓器不全のため福岡市内の病院で死去、42歳。
山口県立岩国工業高校を卒業。新日鐵光に入社。新日鐵グループ野球部の再編にともない新日鐵君津に転籍。 96年都市対抗野球大会で優秀選手賞を受賞。同年ドラフト2位で西武ライオンズに入団。05年まで在籍。通算9年で44勝44敗50セーブ、防御率3.39。02年と03年に最優秀中継ぎ投手。その後、米タンパベイ・デビルレイズ、独立リーグ・石川ミリオンス ターズでプレーしたのち、西武で投手コーチを務めた。
76/28
フィル・コーラン(米ジャズ・トランペット奏者)ミシシッピ州オックスフォード
28日、死去、90歳。
セントルイス育ち。 50年代初めからジェイ・マクシャンのバンドでトランペットを演奏。 59年ジョン・ギルモアのブラスグループ「サン・ラー・アーケストラ」 に参加、61年まで活動をともにする。65年「アーティス ティック・ヘリティッジ・アンサンブル(AHA)」を結成する。 「オン・ザ・ビーチ」などのアルバムを発表し、アフロ・スピリチュア ル・ジャズの草分けとなるが、68年脱退。フィルの息子らが在籍した「ザ・ヒプノティック・ブラス・アンサンブ ル」は、AHAのサウンドを引き継ぎ、トランペットを主体に8人のホーン奏者で構成。ジャズやファンク、ヒップホップといった 様々な音楽要素を融合させたダイナミックな演奏をおこなった。

6/27
■ミカエル・ニクヴィスト(スウェーデン俳優)ストックホルム
27日、肺癌のため死去、56歳。
交換留学生として17歳で米ネブラスカ州オマハで過ごす。バレエ学校に在籍後、演劇学校に編入。87年デビュー。97年放送の「Beck」シリーズで注目される。00年ルーカス・ムーディソン監督「エヴァとステファンとすてきな家族」で国際的な評価をえる。09年小説「ミレニアム」の映像版で主人公を演じた。出演作に「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」「ミレニアム 2 火と戯れる女」「ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士」「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル」など。
6/24
■永射保(元プロ野球投手)鹿児島
24日、がんのため福岡県久留米市の病院で死去、63歳。
宿商業高校を卒業。71年のドラフト3位で広島東洋カープに入団。74年太平洋クラブライオンズに移籍。77年先発の一角として9勝をあげる。クラウンライターライオンズ、西武ライオンズ時代の86年まで在籍。左のワンポイントエースとして、82年、83年、85年と3度のリーグ優勝に貢献。87年横浜大洋ホエールズに移籍、89年福岡ダイエーホークスに移籍。90年現役引退
6/18
■松木恒秀(ジャズ・ギタリスト)東京都
18日、死去、68歳。
15歳よりバンド活動を始める。68年稲垣次郎とソウル・メディアに加入し新宿ピットイン出演。70年代後半には大野雄二ユー&エクスプロージョンバンドとして「ルパン三世」「大追跡」「人間の証明」などのレコーディングに関わる。 ほかザ・プレイヤーズ、ジョージ大塚マラカイボ、渡辺貞夫、日野皓正ら数多くのグループに参加。その後、自身のリーダーバンド「The M」を結成。のちに田中清司のJr.Boysにも参加。
6/16
■ジョン・G・アビルドセン(米映画監督)イリノイ州オークパーク
16日、膵臓がんのため米ロサンゼルスの病院で死去、81歳。
広告代理店のCM制作をへて、映画業界に入る。70年バイオレンス映画「ジョー」で注目される。73年「セイブ・ザ・タイガー」で主演ジャック・レモンがアカデミー主演男優賞を受賞。76年「ロッキー」でアカデミー監督賞、同作品賞ほか多数の賞を受賞した。このほかの監督作品に「ベスト・キッド」「ロッキー5/最後のドラマ 」などがある。
6/13
■アニタ・パレンバーグ(イタリア女優)イタリア・ローマ
13日、死去、73歳。
ドイツ系イタリア人。ドイツの寄宿学校を中退。ミュンヘンのアートスクールでグラフィックデザインを学ぶ。63年米ニューヨークに渡り、ファッション誌カメラマンのアシスタントを務める。モデルの仕事をはじめ、「ヴォーグ」の表紙などを飾った。67年独映画「Mord und Totschlag(英題:A Degree Of Murder)」に主演、カンヌ映画祭に招かれる。68年ジェーン・ フォンダ主演の映画「バーバレラ」、エヴァ・オーリン主演の「キャンディ」、70年ミック・ジャガー出演の「パフォーマンス」などに出演。60年代後半からローリング・ストーンズのキース・リチャードと長くつ きあい、麻薬中毒におちいるなどして79年破局。
6/13
■野際陽子(女優)石川県津幡町
13日、14年肺がんを患い治療、15年再発し腫瘍の摘出手術を受けたが死去、81歳。
3歳で東京・杉並に転居。立教大学を卒業。58年アナウンサーとしてNHKに入局。名古屋放送局勤務、「おはようみなさん」の司会などをへて、62年退職。広告代理店勤務をへて、フリーアナとしてTBS系「女性専科」の司会を務めた。63年TVドラマ「悲の器」で女優デビュー。66年仏ソルボンヌ大学に留学、仏文学を学ぶ。帰国後の68年TVドラマ「キイハンター」で女優復帰し、大ヒットとなる。ほかTVドラマ「ザ・ガードマン」 、映画「乱れからくり」「二百三高地」などに出演。 TVドラマ「やすらぎの郷」に出演中だった。73年「キイハンター」で共演した千葉真一と結婚。94年離婚。
5/31
■杉本苑子(歴史小説家)東京都新宿
31日、老衰のため5月31日死去、 91歳。
旧制千代田女子専門学校(現:武蔵野大学)、文化学院を卒業。52年「燐の譜」で「サンデー毎日」懸賞小説に入選。選考委員の吉川英治に師事。61年に初の短編集「船と将軍」を出版。62年「孤愁の岸」で直木賞を受賞。歴史小説家として多くの作品を手がけた。78年「滝沢馬琴」で吉川英治文学賞を受賞。85年「春の波濤」(原作「マダム貞奴」「冥府回廊」)がNHK大河ドラマとして放映される。86年「穢土荘厳」で女流文学賞を受賞。02年菊池寛賞、文化勲章を受けた。
5/27
■グレゴリー・ルノワール・オールマン(米ミュージシャン)テネシー州ナッシュビル
27日 、肝臓がんの合併症により南部ジョージア州サバンナの自宅で死去、69歳。
米ミュージシャンで「オールマン・ブラザーズ・バンド」ボーカリスト兼オルガンプレイヤ。一家でフロリダに移住。 65年高校卒業後に「オールマンズ・ジョイズ」を結成。南部を中心にツアー活動をおこなう。その後「アワーグラス」を結成、アルバムを発表するが解散。69年兄デュアンに誘われ「オールマン・ブラザーズ・バンド」結成に参加。71年デュアンの死後もオールマン・ブラザーズ・バンドの活動を支え続ける。ブルースやカントリーの音楽性を強く打ちだした「サザン・ロック」と呼ばれるロックの代表的存在となる。73年初のソロアルバム「レイド・バック(Laid Back)」発表。07年過去の刺青処置で感染したと思われるC型肝炎を発症。

08年複数の肝腫瘍が発見され、10年肝臓を移植した。


5/23
■ロジャー・ムーア(英俳優)ロンドン
23日、スイスで療養していたが、死去、89歳
40年代に映画にエキストラ出演。その後に軍隊に入り、第2次世界大戦中はイギリス軍娯楽部隊に所属。除隊後にふたたび大部屋俳優となる。50年アメリカにわたり、54年米映画「雨の朝 巴里に死す」に出演。62年TVシリーズ「セイント 天国野郎」に主演し、人気をえる。3代目ジェームズ・ボンドとして73年「死ぬのは奴らだ」から 85年「美しき獲物たち」まで、7作にわたり主役を演じた(歴代最多本数)。このほか91年国連児童基金(ユニセフ)の親善大使に就任、飢餓などに苦しむ子どもたちを支援する活動を続けた。
5/15
■日下武史(俳優)豊島区
15日、誤嚥性肺炎のため療養先のスペインで死去、86歳。
慶応大学在学中に演劇活動を始める。53年浅利慶太ら10人で劇団四季を結成。54年旗揚げ公演「アルデール又は聖女」の伯爵ガストン役で初舞台を踏む。代表的な舞台に「ヴェニスの商人」「エクウス」「この生命誰のもの」「ハムレット」「鹿鳴館」など。NHK大河ドラマ「天と地と」「樅ノ木は残った」「新・平家物語」ほか、映画「南極物語」「ときめきに死す」「まあだだよ」などに出演した。90年度芸術選奨文部大臣賞のほか、芸術祭賞奨励賞、紀伊國屋演劇賞などを受賞。
5/3
■月丘夢路(女優)広島市
3日、肺炎のため東京都内の病院で死去、94歳。
37年広島第一高女(現:広島皆実高校)から宝塚音楽歌劇学校に入学。39年宝塚少女歌劇団生徒として「宝塚花物語」で初舞台。40年在団中に宝塚映画「瞼の戦場」に主演し、映画デビュー。42年大映映画「新雪」に主演し大ヒット。 43年宝塚歌劇団を退団。大映、松竹し、日活映画へ。53年第3回NHK紅白歌合戦に初出場。100本以上の映画に出演し、 59年フリーとなる。14年「宝塚歌劇の殿堂 100人」に選ばれた。映画監督の井上梅次は夫。料理研究家の井上絵美は娘。
5/1
■ピエール・ガスパール=ユイ(フランス映画監督)フランスのアキテーヌ地域圏ジロンド県リブルヌ
1日、99歳、死去。
20歳前後から助監督として働く。アンリ・ショメットらに師事し、48年脚本家としてデビューし、9年画家モーリス・ユトリロの人生を描いた映画『モーリス・ユトリロの劇的人生』で監督としてデビュー。63年ジャン=リュック・ゴダール作品で人気をえたゴダールの当時の妻アンナ・カリーナを主役のシェラザード役に迎え、『シェラザード』を監督。68年以降はTV映画に進出、多くのTVシリーズを手がけた。
4/27
■佐田の山晋松(元横綱、元日本相撲協会理事長)長崎県新上五島町
27日。肺炎のため東京都内の病院で死去、79歳。
55年出羽海部屋へ入門。56年1月場所で初土俵を踏む。61年初場所に新入幕をはたし、幕内3場所目で平幕優勝。65年初場所後に横綱に昇進した。68年春場所で現役引退。幕内優勝は6回、生涯戦歴591勝251敗61休(71場所)、幕内戦歴435勝164敗61休(44場所)。引退後は年寄「出羽海」を襲名し、出羽海部屋を継承。92-98年まで3期にわたり相撲協会理事長を務めた。3期目からは協会運営に専念するため名跡を「境川」に変更し、部屋を元関脇鷲羽山に譲った。00年には理事長経験者としては異例の審判部長に就任。 03年2月に中立親方として相撲協会を定年退職した。
4/26
■ジョナサン・デミ(米映画監督)ニューヨーク州ボールドウィン
26日、食道がんと心臓病の合併症により米ニューヨークで死去、73歳。
フロリダ大学獣医学部を中退。地方新聞に勤めたのち、映画会社宣伝マンとなる。映画プロデューサーのロジャー・コーマンのもとで、71-76年まで低予算映画を制作。77年「怒りの山河」でメジャー映画デビュー。80年「メルビンとハワード」でニューヨーク映画批評家協会賞監督賞を受賞。84年トーキング・ヘッズのライブ映画「ストップ・メイキング・センス」で全米映画批評家協会賞ドキュメンタリー映画賞を受賞。91年公開の「羊たちの沈黙」でアカデミー賞作品賞、監督賞を含む5部門を受賞した。ほかに「サムシング・ワイルド」、トム・ハンクスがアカデミー賞主演男優賞を受賞した「フィラデルフィア」、年ヴェネツィア国際映画祭出品の「レイチェルの結婚」などを監督した。
4/23
■三遊亭円歌(落語協会最高顧問)東京都墨田区
23日 、死去、88歳。
岩倉鉄道学校(現:岩倉高校)を卒業。学徒動員で山手線新大久保駅に配属される。戦後45年二代目三遊亭円歌に入門、歌治を名乗る。48年歌奴で二つ目昇進。初めてのメガネをかけた落語家となり、新作落語で人気をえた。58年戦後入門組初の真打ち昇進。TVにも出演したほか、映画「落語野郎」シリーズなどに出演。70年三代目円歌を襲名。古典落語にも力を入れ、71年「三味線栗毛」で芸術祭優秀賞を受賞。85年。日蓮宗久遠寺で修行し、僧名円法となる。96年落語協会会長に就任、06年まで務めた。
4/12
■松本俊夫(映画監督・映像作家)名古屋市
12日、腸閉塞のため東京都内の病院で死去、85歳。
55年東京大学文学部美学美術史学科を卒業。映画プロダクション「新理研映画」に入社し、アヴァンギャルドなドキュメンタリー映画を制作。59年新理研映画を退社。67年「母たち」でベネチア国際記録映画祭でグランプリ受賞。69年劇映画「薔薇の葬列」を初監督。他の監督作品に76年秋吉久美子主演の「十六歳の戦争」、88年夢野久作原作で桂枝雀主演の「ドグラ・マグラ」など。80年九州芸術工科大学教授に就任。85年京都芸術短期大学(現:京都造形芸術大学)教授に就任。99年日本大学芸術学部研究所教授に就任、12年定年退任。日本映像学会会長も務めた。
4/12
■ペギー葉山(歌手)東京都新宿区
12日、肺炎のため東京都内の病院で死去、83歳。
青山学院女子高等部を卒業。在学中に米軍キャンプでジャズ歌手として活動を始める。52年「ドミノ/火の接吻」でレコードデビュー。58年ミュージカル「あなたの為に歌うジョニー」で芸術祭個人奨励賞受賞。59年NHK高知放送局の記念番組で歌った「南国土佐を後にして」がヒット。 その後、米ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の劇中歌に 日本語歌詞を付けた「ドレミの歌」や「学生時代」などがヒットした。 NHK紅白歌合戦に54年以降計14回出場、66年紅組司会者も務めた。07-10年まで女性初の日本歌手協会会長を務めた。私生活では、65年俳優の根上淳と結婚。
4/6
■京唄子(漫才師、女優)京都市
6日、肺炎のため大阪市内の病院で死去、89歳。
45年宮城千賀子の劇団「なでしこ劇団」に入り、京町唄子の名で舞台女優となる。のち不二洋子、瀬川信 子などの一座を転々とする。56年鳳啓助とコンビ「唄子・啓助」 を結成して漫才を始め、人気を博す。70年唄啓劇団を旗揚げする。87年同劇団を解散、京唄子劇団を設立。93年からドラマ「渡る世間は鬼ばかり」に出演。このほかドラマ「遠山の金さん」 「大奥」などに出演した、97年国際芸術文化賞を受賞。08年上方演芸資料館が選出する「上方演芸の殿堂入り」入り。私生活では俳優の浪花五郎と結婚するが5年で離婚。鳳啓助と結婚するが65年離婚。現在の夫は4人目の結婚相手。
4/5
■加川良(フォーク歌手)賀県彦根市
5日、急性白血病のため2016年12月から入院していたが東京都内の病院死去、69歳。
アート音楽出版(URCの版権管理会社)に入社。高田渡のマネジャーなどを務める。高田や岡林信康、高石ともやらの影響でフォーク・ソングを歌いはじめる。70年第2回中津川フォークジャンボリーに飛び入り参加し、「教訓I」を発表。71年アルバム「教訓」でデビュー。72年はっぴいえんどのメンバーが参加した「親愛なるQに捧ぐ」、73年中川イサトとのライヴ・アルバム「
4/5
大岡信(■詩人)年静岡県三島町
5日、呼吸不全のため静岡県三島市内の病院で死去、86歳。
東京大学文学部国文科を卒業。卒業論文は「夏目漱石論」、学生時代から詩人として注目された。読売新聞社に入社し、外報部記者として勤務。63年退社。65年明治大学助教授となり、70年同教授に就任。79年に就任。87年明治大学教授を退任。88年東京芸術大学教授に就任。その後、東京芸術大学名誉教授となる。この間、79−07年まで朝日新聞で「折々のうた」を連載。菊池寛賞、読売文学賞、現代詩花椿賞、芸術選奨、日本芸術院賞・恩賜賞、フランス芸術文化勲章シュヴァリエなど受賞多数。このほか、日本現代詩人会会長、日本ペンクラブ会長や一ツ橋綜合財団理事を務めた。09年三島市に「大岡信ことば館」開館。芥川賞作家の大岡玲は長男
3/26
■ダーレン・ケイツ(米女優)テキサス州ボーガー
26日、テキサス州フォーニ―の自宅で。睡眠中に死去、
69歳12歳で両親が離婚し過食症となる。93年レオナルド・ディカプリオとジョ ニー・デップが兄弟を演じた映画「ギルバート・グレイプ」で肥満の母親役を演じ、で映画デビュー。94年TVドラマ「ピケット・フェンス」に出演。その後 261kgから113kgの減量に成功した。
3/21
■コリン・デクスター(英推理作家)イングランド・リンカン州スタムフォード
21日、オックスフォードの自宅で死去、86歳。
ケンブリッジ大学を卒業。グラマースクールの古典学講師、オックスフォード地方試験委員会副書記を務める。クロスワードパズルのカギ作りの名手としても知られる。75年デビュー作「ウッドストック行最終バス」を出版。以降、長編12作を発表し、英国推理作家協会 (CWA) のゴールド・ダガー賞およびシルバー・ダガー賞をそれぞれ2度受賞。75−99年にかけて発表された「モース警部シリーズ」13作は人気を博した。
3/18
■チャック・ベリー(米ミュージシャン)ミズーリ州セントルイス
18日、ミズーリ州セントチャールズで死去、90歳。
44年高校卒業直前に感化院へ送られ、47年釈放。53年サー・ジョン・トリオにギタリストとして加入。55年シングル「メイベリーン」でデビューし全米5位。ギターを弾きながら腰を曲げて歩く「ダックウォーク」が話題となった。56年シングル「ロール・オーバー・ベートーヴェン」、57年初アルバム「アフター・スクール・セッション」を発表。その後「スクール・デイズ」「ロックンロール・ミュージック」「スウィート・リトル・シックスティーン」「ジョニー・B.グッド」などがヒット。エルビス・プレスリーやバディ・ホリーらとともにロックンロール創始者の1人とされるビートルズが曲をカバーし、ビーチ・ボーイズも「スウィート・リトル・シックスティーン」をもとにした「サーフィン・U.S.A.」を大ヒットさせた。60年代以降の音楽界にも大きな影響を及ぼし、 「ロックの神様」といわれた。86年ロックの殿堂入り。
3/16
■ジェイムズ・コットン(米ブルース・ハーモニカ奏者、シンガー)ミシシッピ州チュニカ
16日、肺炎のためテキサス州オースティンの病院でで死去、81歳。
53年ソロ・アーティストとして初のレコーディング、シングル2枚をリリース。55年ごろシカゴに移り、57年マディ・ウォーターズのバンドに正式参加、66年まで在籍。67年ソロ・アーティストとして初のフル・アルバム「Cut You Loose!」をリリース。74年ジェイムズ・コットン・バンドとして「100% Cotton」を発表し、高く評価される。75年「High Energy」、76年2枚組ライブ・アルバム「Live & on the Move」を発表し、全盛期を迎えた。90年代半ばに喉頭ガンを患い歌うことができなくなったが、音楽活動は続けた。96年アルバム「Deep in the Blues」で初めてグラミー賞(ベスト・トラディショナル・ブルース・アルバム部門)を受賞した。
3/14
■渡瀬恒彦(俳優)島根県安来
14日、多臓器不全のため東京都内の病院で死去、 72歳。
兵庫県淡路島淡路町育ち。。早稲田大学法学部除籍。在学中は空手道部に籍を置き、段位は二段。その後、 電通PRセンターに勤務するが、69年東映と契約して役者の道へ。70年映画「殺し屋人別帳」の主役としてデビュー。アクション映画やヤクザ映画の出演をへて、78年「赤穂城断絶」、松竹映画「事件」で、ブルーリボン賞・日本アカデミー賞・キネマ旬報等助演男優賞を受賞。79年松竹映画「震える舌」「神様のくれた赤ん坊」でキネマ旬報主演男優賞受賞した。この間、73年に女優の大原麗子と結婚するが、5年後の78年に離婚した。79年一般人女性と再婚。芸能界では「ケンカ最強伝説」としてその腕っぷしの強さが知られていた。俳優の渡哲也は実兄。15年秋に胆のうがんが発覚。治療を続けながらドラマなどに出演していた。
3/9
■春日富士晃大(元幕内力士)宮城県牡鹿町
9日、 死去、51歳。
81年春場所で初土俵、89年春場所新入幕。96年秋場所で引退。最高位は東前頭筆頭、生涯戦歴518勝542敗5休(94場所)、幕内戦歴 289勝341敗(42場所)、 敢闘賞1回。引退後、春日山親方として弟子を育成した。理事就任を機に元幕内浜錦の高浜竜郎に部屋を継承。12年相撲協会を退職。
3/4
■井之上 隆志(俳優)宮崎
4日、2015年12月にがんが判明し、入退院を繰り返しつつ仕事を継続していたが、2017年2月下旬に体調を崩して入院。下喉頭がんのため同年3月4日18:30に東京都内の病院にて死去、57歳。
「劇団カクスコ」に1987年より創立メンバーとして参加、舞台を中心に活動 。2002年の劇団解散後はテレビドラマや舞台で活動し、『渡る世間は鬼ばかり』(TBS)、『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』『相棒』(テレビ朝日)など人気シリーズにも出演して、温厚な中年男性から冷徹な悪役に至るまで多様なキャラクターを巧みに演じる名脇役として活躍した。特技はドラムで、角野卓造らと『渡る世間は鬼ばかり』の劇中で結成した「渡鬼おやじバンド」ではパーカッション担当してCDデビューも果たしている。
3/4
■長友啓典(グラフィックデザイナー、東京造形大学客員教授)大阪市阿倍野区
4日、東京都内の病院で4日死去、77歳。
府立天王寺高校を卒業。浜松市に本社を置く鉄工所に旋盤工として勤務御、上京。倉庫番、機械の修理工など職を転々とする。その後、桑沢デザイン研究所でエディトリアルデザインを学ぶ。日宣美の入選をへて、早川良雄に師事。63年日本デザインセンターに入社。67年日宣美賞を受賞。日本デザインセンターを退社し、69年黒田征太郎と「K2」 を設立。広告や雑誌のデザイン及び、アートディレクション、挿絵、エッセイなどを手がけた。有限責任中間法人「ロハスクラブ」理事も務めた。84年講談社出版文化賞さしえ賞、01年日本宣伝賞山名賞、 06年講談社出版文化賞ブックデザイン賞を受賞。
2/.24
■辛島文雄(ジャズピアニスト)大分県
24日、がんのため死去、 68歳。
九州大学卒業。在学中から演奏活動を始める。74年ジョージ大塚グループで本格的な活動を開始。76年初リーダー作「ピラニア」を発表。日野元彦らとも共演。 80年から6年間にわたり米ジャズドラマーのエルビン・ジョーンズのグループ(Elvin Jones Jazz Machine)に在籍し、ワールドツアーにも参 加。05年度「南里文雄賞」を受賞。
2/13
■鈴木清順(映画監督)東京都
13日、慢性閉塞性肺疾患のため東京都内の病院で死去、93歳。
41年旧制弘前高(現:弘前大学)に入学。43年学徒出陣、陸軍二等兵として入隊しフィリピン、台湾を転戦。46年復学し、48年卒業。松竹に入社して助監督になる。54年日活に移籍し、56年「港の乾杯 勝利をわが手に」で監督デビュー。58年清順と名乗り、アクション映画を監督し渡哲也主演「東京流れ者」、高橋英樹主演「けんかえれじい」などがヒット。67年宍戸錠主演「殺しの烙印」を監督するが、難解として日活が上映を中止し専属契約を解除。和解後の77年「悲愁物語」10年ぶりに監督復帰。80年「ツィゴイネルワイゼン」でベルリン国際映画祭審査員特別賞を受賞。「陽炎座」「夢二」を撮り、大正浪漫3部作と呼ばれた。05年「オペレッタ狸御殿」はカンヌ国際映画祭に特別招待された。このほかTVアニメ「ルパン三世」の監修ほか、俳優として映画 「ヒポクラテスたち」「不夜城」、NHK連続TV小説「青春家族」やフジTV系ドラマ「美少女仮面ポワトリン」などに出演した。元NHKアナウンサーの鈴木健二は実弟。 
2/16
■ディック・ブルーナ(ミッフィーの絵本作家)オランダ・ユトレヒト州ユトレヒト
16日、老衰のためユトレヒトで死去、89歳。
高校中退後、オランダの書店、 イギリスやフランスの出版社で働く。20歳で帰国。アムステルダムの国立美術アカデミーに入学するが、中退。51年父の経営する出版社「A・W・ブルーナ&ズーン」の専属デザイナーとなる。53年初の絵本「de appel」(りんごちゃん)を出版。55年ペーパーバック「ブラック・ベア」シリーズがスタート。同年「nijntje」(ナインチェ)という、うさぎを主人公とした字のない絵本を出版。59年ブルーナカラーと呼ばれる赤、青、白、緑、黄色をつかった絵を描きはじめる。71年アムステルダムで自作の著作権管理するメルシス社を友人ピーター・ブラティンガとともに設立。創作に専念するため、75年A・W・ブルーナ&ズーンを退職する。
「ミッフィー」をはじめとして、124冊の本を出版した。
2/16
■船村徹(作曲家)栃木県塩谷町
16日、神奈川県藤沢市の病院で死去、84歳。
東洋音楽大学(現:東京音楽大学)を卒業。在学時に、作詞家の高野公男と組み作曲の活動を開始。53年雑誌「平凡」コンクール曲で「たそがれのあの人」が第一席となり、レコード化され作曲家デビュー。55年春日一郎の「別れの一本杉」で本格的な作曲家活動にはいる。その後、「ご機嫌さんよ達者かね」「あの娘が泣いている波止場」「柿の木坂の家」「早く帰ってコ」がヒット。61年村田英雄の「王将」は戦後初のミリオンセラーを記録した。手がけた曲は曲は5000曲以上にのぼる。日本音楽著作権協会(JASRAC)名誉会長、日本作曲家協会最高顧問、横綱審議委員会委員などを歴任。56年の山田耕筰以来、作曲家として2人目の文化勲章を受章した。
2/12
アル・ジャロウ(米ジャズ・ボーカリスト)ウィスコンシン州 ミルウォーキー
12日、ロサンジェルスの病院で死去、76歳。
アイオワ大学で心理学を学んだのち、カウンセラーの仕事につく。その後ロサンゼルスに移る。ナイトクラブなどで歌っていたが、75年メジャーデビュー。78年「Look to the Rainbow」で、79年「All Fly Home」でグラミー賞最優秀ジャズ・ボーカル・アルバム賞を受賞。82年「Breakin' Away」でグラミー賞最優秀男性ポップ・ボーカル賞、「Blue Rondo A La Turk」で最優秀ジャズ・ボーカル賞を受賞、93年「Heaven and Earth」で同賞最優秀R&Bボーカルを受賞した。ジャズ、ポップ、R&Bの3部門でグラミー賞を獲得した最初の個人となり、「歌の魔術師」と呼ばれた。85年USAフォー・アフリカに参加、リードボーカルをとる。10年公演先のフランスで呼吸障害のため倒れ、病院に搬送されたが、順調に回復していた。

2/11
■谷口ジロー(漫画家)鳥取市
11日、死去。69歳。
鳥取商業高校を卒業後、京都の繊維会社に就職。 66年漫画家をめざし上京、石川球太のアシスタントとなる。71年「嗄れた部屋」でデビュー。その後、上村一夫のアシスタントをへて独立。作家の関川夏央とコンビを組んだ「『坊っちゃん』の時代」で日本漫画家協会賞優秀賞や手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。久住昌之原作の「孤独のグルメ」は、TVドラマにもなった。10年「遙かな町へ」を原作に、リヨン近郊を舞台としたフランス映画「fr:Quartier Lointain」が制作・公開さた。同国をはじめ海外でも高い支持をえて、11年仏芸術文化勲章シュバリエを受章。
2/8
■土屋嘉男(俳優)山梨県甲州市
8日、肺がんのため死去、89歳。
50年俳優座養成所に2期生として入所、52年映画デビュー。53年俳優座に劇団員として入団するも54年退座。東宝と専属契約を結んで映画界に転身した。映画「七人の侍」など黒沢明監督作品のほか、「地球防衛軍」「ゴジラVSキングギドラ」などの特撮映画に多数出演した。
2/5
デヴィッド・アクセルロッド (米作曲家・編曲者で音楽プロデュ―サー)ロサンジェルス
5日、死去、83歳。
50年代後半からジャズ・レーベルのスタッフ・プロデューサーとして仕事を始める。バップ系ジャズ作品のフランク・ロソリーノ「Free for All」、ハロルド・ランド「The Fox」ほか、クール系ジャズのバディ・コレット「Jazz Loves Paris」らを手がけえる。60年代にはR&B歌手のルー・ロウルズやジャズ・サックス奏者キャノンボール・アダレイらのアルバムを手がた。68年初のソロ・アルバム「Song of Innocence」、69年「Songs of Experience」、71年「Earth Rot」、72年キャノンボール・アダレイが指揮を務めた「David Axelrod's Rock Interpretation of Handel's Messiah」をリリース。80年以降は表舞台から遠ざかるが、93年ホロコーストをテーマとしたアルバム「Requiem: The Holocaust」でシーンに復帰、95年「The Big Country」を発表した。プロデューサー・作曲家・アレンジャーとしてブラックミュージックの“生きる伝説”ともいわれる。


2/3
■三浦朱門(作家、元文化庁長官)東京都中野区
3日、死去、91歳。
48年東京大学文学部を卒業。日本大学芸術学部非常勤講師となる。50年「新思潮」に参加。51年「冥府山水図」でデビュー、52年「斧と馬丁」で芥川賞候補となり作家活動に。芥川龍之介を思わせる作風でし、安岡章太郎や吉行淳之介、遠藤周作らとともに「第三の新人」と呼ばれた。67年「箱庭」で新潮社文学賞、83年「武蔵野インディアン」で芸術選奨文部大臣賞。「老人よ、花と散れ」「日本人をダメにした教育」など家庭や教育問題の著作も多い。この間52年日大助教授、67年教授、69年日大紛争で学生からも孤立し教授を辞職。のち中部大学女子短期大学教授、91-95年まで同大学学長を務めた。85-86年文化庁長官を務め、88−94年日本文芸家協会理事長。96年教育課程審議会会長に就任。04−14年日本芸術院院長。妻は作家の曽野綾子(本名:三浦知寿子)
1/31
■時天空・間垣親方(元小結)モンゴルのウランバートル
31日、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で31日死去、37歳。
モンゴル国立農業大学の在学中、00年スポーツ交流留学生として東京農業大学国際食料情報学部生物企業情報学科に転入。同大学で相撲部に入部し、転入初年度に全国学生相撲個人体重別選手権大会(100kg未満級)で優勝。3年次に時津風部屋へ入門し、04年東京農業大学を卒業。その間02年7月場所に初土俵。04年7月場所に入幕。05年11月場所で技能賞を受賞、06年1 月場所で西前頭筆頭となる。07年3月場所で西小結、同年7月場所で東小結に昇進した。生涯戦歴548勝545敗56休(84場所)、幕内戦歴431勝494敗20休(63場所)、十両優勝2回。現役だった16年1月に悪性リンパ腫の治療で入院していることを公表。土俵への復帰をめざすが、5場所連続全休し16年8月36歳で引退、年寄「間垣」を襲名した。
1/31
■ジョン・ウェットン(英ベーシストでロック・ミュージシャン)英ダービー州ウィリントン
31日、死去、67歳。
70年代初頭にプログレッシブ・バンド「キング・クリムゾン」ボーカルとして世界的に知られる。バンド「UK」を結成。80年代初頭に著名ミュージシャンを集めたスーパーグループ「エイジア」でで活動。82年アルバム「詠時感〜時へのロマン」が全米1位を記録するなど世界的成功をおさめた。このほかロキシー・ミュージック、ブライアン・フェリー・バンド、U.K.、ウィッシュボーン・アッシュなど多くのバンドに参加。06年再結成されたエイジアに加わり、ツアーなどをこなした。しかし、心臓の冠動脈に異常が見つかり同年8月バイパス手術を受けた。
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■エマニュエル・リヴァ(仏女優)仏ボージュ県
27日、癌のためパリ死去 89歳。
57年よりTVや映画に出演。59年アラン・レネ監督の日仏合作映画「ヒロシマ・モナムール(邦題・二十四時間の情事)」で主演を務めた。62年映画「Th屍峻e Desqueyroux」でヴェネツィア国際映画祭女優賞受賞。12年公開の映画「愛、アムール」で米アカデミー賞主演女優賞における史上最年長(85歳)でノミネートされた。08年「二十四時間の情事」のロケで広島市に滞在時に撮影した写真が発見されたのをきっかけに写真集「HIROSHIMA 1958」発売。広島や東京で写真展が開催された。
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■ジョン・ハート(英俳優)イングランド・ダービーシャー・チェスターフィールド
27日、膵臓がんのためロンドンで死去、77歳。
62年初舞台を踏み、66年映画「わが命つきるとも」で映画デビューする。71年「10番街の殺人」、72年「二人だけの白い雪」で知名度があがる。78年「ミッドナイト・エクスプレス」でアカデミー賞助演男優賞候補。80年デヴィッド・リンチ監督の「エレファント・マン」で特殊メイクもよる悲劇の青年役を演じ た。マイケル・ラドフォード監督の「1984」の主人公、「ハリー・ ポッター」のオリバンダー老人役でも知られる。
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■マイク・コナーズ(米俳優)カリフォルニア州フレズノ
26日、白血病による合併症のためロサンジェルスの病院で死去、91歳。
第2次世界大戦中は陸軍航空軍に入隊。戦後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で学ぶ。 52年在学中に映画「突然の恐怖「でデビュー。59年からTVドラマ「タイトロープ」に主演し人気を得る。67-75年までTVドラマ「マニックス」で主演、ゴールデングローブ賞主演男優賞を受賞した。
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■藤村俊二(俳優)神奈川県鎌倉市
25日、心不全のため25日死去、82歳。
父は東京・有楽町の映画館スバル座やオリオン座などをもっていたスバル興業社長。早稲田大学第1文学部演劇学 科を中退。東宝芸能学校舞踊科で学ぶ。60年日劇ダンシングチームとして渡欧。帰国後、振付師に転向した。レナウンのCF「イエイエ」のほか、ザ・ドリフターズの番組「8時だョ!全員集合」で民謡「北海盆唄」をアレンジした「エンヤーコラヤ ドッコイジャンジャン コーラヤ」を振付けた。同番組のエキストラ出演を求められた際、 「ひょい」と逃げたことから「おヒョイ」のあだ名がつく。バラエティ番組「ゲバゲバ90分」「なるほどザ・ワールド」「ぴったしカン・カン」などに出演。映画・ドラマでも70年「青春喜劇・ハレンチ学園」、71年「喜劇・猪突猛進せよ!!」、95年「王様のレストラン」、96年「古畑任三郎」などに出演し、軽妙な持ち味で評判を呼んだ。声優・ナレーターの仕事も多く、11-15年まで「ぶらり途中下車の旅」のナレーションを担当した。愛川欽也、大橋巨泉、財津一郎、森山周一郎らと結成した「昭和九年会」のメンバー。芸能活動の一方で、東京・南青山でバー「O,hyoi,s」(オヒョイズ)を経営したが、10年12月で閉店した。
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■ハリー・マシューズ(米作家)ニューヨーク州ニューヨーク
25日、死去、86歳。
47年プリンストン大学が入学。その後、米海軍で働く。50年ハーバード大学に移り、54年卒業。専攻は音楽。56年パリに移り住む。、フランスの言語実験集団ウリポに参加。6つの長編小説を発表。邦訳されたものに「シガレット」がある。このほか詩や短編小説を発表した。49年フランスの現代美術家ニキ・ド・サンファルと結婚するが、 60年離婚
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■ブッチ・トラックス(米ドラマー)フロリダ州ジャクソン
24日、フロリダ州ウェストパームビーチ で24日死去、69歳。
64年バンド「ザ・ヴァイキング」で7インチ・レコードをリリース。69年大学を中退し、ギタリストのデュアン・オールマンらとロックバンド「オールマン・ブラザーズ・バンド」を結成、バンド名と同じタイトルでアルバ ム・デビュー。ブルースをベースにツイン・リード・ギターとツイン・ ドラムスによる演奏を展開、サザン・ロックの基礎を築いた。73年に発表したアルバム「ジェシカ」はビルボード全米アルバム・ チャートNo.1の大ヒットを記録する。他の代表的アルバムに「アイドルワイルド・サウス」「アット・フィルモア・イースト」など。99年正式メンバーとなったギタリストのデレク・トラックスは甥。
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■アンディ・マヌエル・マルテ (元米大リーグ所属だったプロ野球選t手)ドミニカのエルマナス・ミラバル
22日、交通事故のため母国ドミニカで死去33歳。
00年アトランタ・ブレーブスと契約。05年ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム戦でメジャーデビュー。05年ボストン・レッドソックス、07年インディアンスをへて、3Aや独立リーグを経験。15年から韓国プロ野球・KTウィズに加わり、プレーしていた。2016年の戦力として巨人および阪神が新外国人候補にあげていたとされる。
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■ヨーダノ・ベンチュラ・ヘルナンデス (米大リーグ所属プロ野球選手)ドミニカのサマナ州サマナ
22日、交通事故のため母国ドミニカで死去、25歳。
08年投手としてカンザスシティ・ロイヤルズと契約。13年クリーブランド・インディアンス戦に先発しメジャーデビュー。15年初めて開幕投手を務め、この年14勝を挙げる。最速約164km/hでMBLトップクラスの速さを誇った。通算4年で38勝31敗、防御率3.89。
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■松方弘樹(俳優)東京都北区
21日、昨年2月に体調不良を訴えて入院していた。脳リンパ腫のため東京都内の病院で死去、74歳。
60年17歳明大中野高校3年のとき「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」で主演デビュー。映画「昭和残侠伝」シリーズの助演、NHK「人形佐七捕物帳」の主演など、時代劇やヤクザ映画に出演する。その後、映画「仁義なき戦い」シリーズなどの実録路線、「柳生一族の陰謀」などの大型時代劇で活躍。このほか映画「許されざる者」「首領になった男」 「修羅の群れ」などに出演した。一方で、TVバラエティ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ」の笑い上戸キャラで人気を呼びんだ。釣り好きで知られ、。09年萩クロマグロトーナメントで体長2.73m、体重325kgのクロマグロを釣りあげて記録を更新した。父は時代劇スターの近衛十四郎、母は女優の水川八重子。俳優の目黒祐樹は弟。元妻で女優の仁科亜希子との間に、次男でタレントの仁科克基と三女でタレントの仁科仁美がいる。
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■ミゲル・ホセ・フェラー(米俳優)カリフォルニア州サンタモニカ
19日、死去、61歳。
アカデミー賞俳優ホセ・フェラーは父。従兄にジョージ・クルーニー。ハリウッドで育ち80年代から役者としてTVドラマなどの脇役として活動。84年「スタートレック3 ミスター・スポックを探せ!」に出演。87年「ロボコップ」あたりから認められるようになった。「ツイン・ピークス」のローゼンフィールド捜査官役、 「NCIS:LA 〜極秘潜入捜査班」のオーエン・グレンジャー役を演じた。このほかTVドラマ「ザ・スタンド」「ER救急救命 室」、映画「スティーヴン・キング/ナイト・フライヤー」「ロルカ、暗殺の丘」などに出演。スティーヴン・ソダーバーグが監督の映画「トラフィック」で、他の共演者らとともに全米映画俳優組合賞キャスト賞を受賞。
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■八並映子(女優)静岡県藤枝
14日、死去、68歳。
県立藤枝西高校を卒業。69年大映にニューフェイスとして入社、70年「女賭博師壷くらべ」でデビュー。同年「高校生番長」に出演、その後高校生番長シリーズの中心的存在として活動。70年度エランドール新人賞を受賞。71 年「悪名尼」に主演、同作品は大映配給の最後の作品となる。大映倒産後フリーとなり映画やTVなどに出演。
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■神山繁(俳優)広島県呉
3日、肺炎のため死去、87歳。
海軍経理学校を卒業。山王ホテル勤務、進駐軍の通訳などをへて、52年文学座に演出部研究生として入座。その後俳優に転じる。63年芥川比呂志、小池朝雄、仲谷昇、岸田今日子らとともに同座を脱退し、劇作家の福田恆存を代表とする現代演劇協会・劇団「雲」を結成。75年芥川とともに雲(現代演劇協会)を脱退、演劇集団 「円」の結成に参加。87年京都へ移住。 91年円を退団。新劇俳優として舞台で活動する一方、NHK大河ドラマほか数多bフTVドラマ、映画「金環食」「太陽を盗んだ男」「南極物語」「どら平太」「アウトレイジ ビヨンド」などに出演。出演作は多岐にわたり、名脇役として知られた。

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■ダリル・スペンサー(元阪急(現:オリックス)内野手)カンザス州ウィチタ
2日、カンザス州ウィチタで死去、88歳。
ウィチタ州立大学を卒業。52 年ニューヨーク・ジャイアンツ(現:サンフランシスコ・ジャイアンツ)でメジャーデビュー。60年セントルイス・カージナルス、 61年シーズン途中にロサンゼルス・ドジャース、63年シーズン途中にシンシナティ・レッズに移籍。64年阪急ブレーブスに入団。長池徳士とともに阪急の主砲として活躍。 65年南海・野村克也捕手と三冠王争いも繰り広げた。67年は阪急のパ・リーグ初制覇に貢献。68年退団するも、71-72年まで阪急でコーチを務めた。帰国後04年にカンザス州のスポーツ殿堂入り。

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